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ノベルゲーム・ADVプレイ報告&紹介

雨紡ぎの四葩

【システム:選択肢で結末が分岐】 【目安総プレイ時間:2時間半】 【制作:Minuit様】

人間は思い通りにならず人形には想いが宿る。
人が愛するのは人間か?人形か?

失恋後の傷心旅行。迷い込んだ洋館で人形を巡る愛憎劇に巻き込まれるノベルゲーム。

[このゲームが公開されているページ]
https://www.freem.ne.jp/win/game/17873

[作者公式]
http://minuitstaging.web.fc2.com/yohira/index.html

■ プレイガイド

選択肢の件数自体は多くはなく、組み合わせを変えて周回すれば全てのENDを見るのは難しくないと思います。 親密度のような概念が存在するようで、敢えて浮気をしてみるのも一興。

選択肢のようなゲーム要素になっているわけではありませんが「犯人」は誰か?を考えながら読み進めるのも本作品の醍醐味ですね。

■ 感想(※ネタバレ有)

「思い通りにならない他者」と「不完全な心」が「人形」を媒介にして、 ときには離れ、ときにはつながる。 本来は「心のないモノ」である筈の人形によって逆説的に「心」や「愛情」といった形の無いものに形が見えてくる気がしました。

以下、ネタバレ前提の感想です。
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ほとんどの登場人物が、「求めていた愛情」が得られずに、 精神面にそれぞれの形で歪みのようなものが生じていますね。

両親の愛情、片思い、失恋……。

各々の満たされない想いが、各々の形で「人形」へと向かう。 それがまた生身の人間を顧みないことにもつながり、さらなる愛情不足の連鎖が生まれる。

菜々さんだけは一貫して人形に否定的で、習慈さんという生身の人間を求めていましたが、 思い通りに愛情が得られないことに逆上して習慈さんを殺そうとしており、 「心を否定する=動かない死体にする」という図式で「人形」的なものへの偏愛が生じているようにも思われます。

殺そうとしたと言えば渉さんも同様であり、 「生身の人間=思い通りにはならない他者」との関係の持ち方の困難さが表現されているところかなと感じます。

主人公の元カノの桃香だけは例外のようですが、 「私ではあなたを支えきれない」と言って主人公と別れた後に人形の洋館に下宿に来ているあたり、 作中では描かれない部分で他の登場人物と共通する「何か」があったのでは……と想像するところです。

習慈さんが言外にオルタシアを指して「そんな人形、ないほうが幸せなのかもしれないな」と言う場面がありました。 確かにこの家の中では、人形という本来は「心のないモノ」に「愛情を込める」という要素が全体的な「愛情不足の連鎖」の結節点になっているのですよね。

ただ、本来は「心のないモノ」である人形を媒介とすることで、 逆説的に人間の心の存在感が浮き彫りになっているようにも思います。

「オルタシア」は人形であり今は体すらない状態だけれど、誰よりも生き生きとした感情を持っている。 「紫津子」は生身の美少女だけれど、生気を失った非人間的な状態になっている。 物質的な身体よりも、形のない「心」にこそ本質的な価値がおかれていると感じるところです。 (オルタシアと紫津子は「逆」に書くべきかどうか迷うところですが……)

また、「人形を愛する」と言うと、世間的には奇妙なイメージを持たれがちなところがあろうかと思いますし、 作中でも生身の人間を顧みずに人形に没頭することが他の人の心を傷つける原因になっていますが、 オルタシアが紫津子の孤独を支える存在になったのは、 そこに込められていた母親・奈津子さんの想いがあったからこそであり、 人形が想いを伝える媒介になったことも一方では確かですね。

本作品の物語全体の縦糸を辿ると、 「不完全な感情」を抱えていた主人公が、オルタシア(紫津子)の体のパーツを取り戻して体を「完成」 させることで結果的に本来の心が生身の紫津子に戻り、想い合う二人が結ばれることで「完全な形」になる、 ということになるでしょうか。

> 不完全だった僕の感情は、ようやく完全な形になった。 そのゆるぎない証は今、僕の隣で息づいている。

ただ、その「隣で息づいている」彼女を「ゆるぎない証」としているところに、一抹の危うさを感じないではないですね。 「息づいている」という言葉の選び方に肉体的な存在感を感じます。結局、物質的な側面(=人形的なもの)に依存しているのではないのか? あまり考えたくはないですが、何かのハプニングで「証」を失うことで感情が崩壊する……なんていう後日談を想像してしまったりもして、 ハッピーエンドなようでいて本作品全体のミステリアスな雰囲気を余韻に残す終わり方のように感じます。 人類が続く限り人から人への愛情の動きによって正負併せ持つ連鎖が続いていくのかも……などと、ちょっと壮大な気分にもなりました。

さきほどは主人公側から見た物語の縦糸の話をしましたが、 逆に紫津子側から見ると、 愛されるために人形になっていた自分が、心と体を備えた「完成」した人間として存在できるようになる、 というところに縦糸を見出せるように思います。

ここで重要になってくるのが他者との双方向的な応答の成立、ということかなと思います。

本作品を読んで、人間の心の実在性に関する古くて新しい問題を思い起こしました。 人間には「心」があるのか? それとも実はAIか何かで動いていて「心」があるように見えるだけなのか?

> あなたの声は、必ず紫津子に届くはずです。紫津子がそう言っていたんだから

一般に「心」と言った場合、暗黙的に「個人の」心という意味で言っている場合が多いかと思います。

> どこにいても、そーいちが呼んでくれたら絶対応えて見せるから

「個人」のものとしての「心」というものは、存在すら不確かなあやふやなものなのかもしれず、

> ……呼んでね、きっと

「呼び合うこと」「応えること」に、人の「心」という形の無いものの本質が表れてくるものなのかもしれない……などと思いました。

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