TOP > テキスト目次 > > それは、発想の貧困さ、を助長してしまうものではないか?



◆◆ 思ったこと: ◆◆

        
        > それは、発想の貧困さ、を助長してしまうものではないか?
        
        こういうのは、たぶん、理解はされにくいのだろうなと思います。
        
        
        > 自分が想定していた種類のページが上位に出てくればいいのですが、
        > そうではない場合も多々あります。
        
        この時点で、
        「それは不便なことだよね」
        という文脈が、読んだ人の頭の中に、出来上がってしまう。
        
        以降に書いてあることは、そのスキーマでしか、読解されない。
        スキーマが出来上がってしまった以上、もう、取り返しがつかない。
        そして、だんだんと、「何を言ってるのかわからない」と、なってしまう。
        
        わからないことが、わからない、と自覚されるならまだしも、
        「読まなくていい理由」「考慮に値しない理由」を作られてしまう。
        そうなったら、もう、書かない方がマシだったんじゃないのか?
        
        
        じゃあ、どう書けばよかったのでしょう?
        
        どう書いても同じなんじゃないのかな。
        どう書いても、伝わる人には伝わるし、伝わらない人には絶対に伝わらない。
        絶望。
        
        
        > スキーマが出来上がってしまった以上、もう、取り返しがつかない。
        
        言葉を尽くせば尽くすほど、「出来上がってしまったスキーマ」からの乖離が酷くなるばかり。
        読んでいる人が、自ら、自分の頭の中にできているスキーマを 疑ってくれれば、希望はあるのですが、
        それは、こちらが、どう言葉を尽くすか、とは無関係なこと。
        関係があるように見えることもあるかもしれないけれど、それは結果論に過ぎません。
        
        
        
        > スキーマが出来上がってしまった以上、もう、取り返しがつかない。
        
        ネイティブ言語だからこその「わかったつもりになる」「自分の理解を疑わない」恐ろしさ、
        とでも言えばいいのでしょうか。
        
        だめだ。どう言ってもダメだ。
        努力すればするほど悪くなる。
        
        他人は操れない。