TOP > テキスト目次 > > こういうふうに割り切ってプレイしてみると、そこそこ勝ち進めるようになってきました。



◆◆ 思ったこと: ◆◆

        > こういうふうに割り切ってプレイしてみると、そこそこ勝ち進めるようになってきました。
        > 全クリアには至らないんですが、そこまで求めるのは、多分、プレイの目的が違う。
        > 
        > こういう態度って、格闘ゲームが好きな人、の態度、じゃない、ですよね、多分。
        > でも、格闘ゲームが特別好きというわけでもなく、いろんな格闘ゲームをやりこんでるわけでもない人、
        > が、適当にプレイすると、行き着く先は、こういうプレイ、になるんじゃないのかな、という気がしました。
        
        格闘ゲームが好きな人の態度ではない。
        と同時に、こういうやり方でプレイしていても、好きにはならない気がします。
        そのゲームに対して「しょせんそんなもん」という印象になってしまうし、
        また、そのように思うためのプレイ、だったりもするのかもしれません。
        
        「しょせんそんなもん」と思うためのプレイ。
        事実、このゲームそのものは、そうなのかもしれません。
        
        そこで止まるかどうか? 
        
        信仰心の有無、と言ってもいいのでしょうか。
        たとえば、仏像そのものは、客観的な事実としては、木や金属のカタマリでしかないのですが、
        信仰心があるならば、そこに仏が見出される。
        
        
        
        > 「しょせんそんなもん」と思うためのプレイ。
        
        目の前にある現物と、あるべき姿として見出されているもの。そして、その差。
        
        何か、現物を通して、現物以上のものが見出されて、
        その差を、埋める努力が、行われる。
        
        その努力が、こだわったプレイであったり、続編の制作だったり、
        ということでしょうか。
        
        
        えっと、話が全然つながらないのですが、
        現状以上のものを見出して、そこへ向かおうとする姿勢には、敬意を払いたいと思うのです。
        
        もうちょっと口を滑らすと、
        
        > 現状以上のものを見出して、そこへ向かおうとする姿勢
        
        それこそが生きることの意味であり、
        それがないならば、生きている事実は、意志なき現象に過ぎなくなってしまうのではないか。