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◆◆ 思ったこと: ◆◆

        詳細設計と言いつつ、部分的に本文に近いことを書いてる状態です。
        実装時(本文を書くとき)に迷わずに作業できるように、という意図なのですが、
        3rdヒロ子氏のルートの詳細設計では、そこまで細かくは指定してなかった。
        もうちょっと大雑把に作業を進めてもいいのかな。
        ペースが落ちていることについての懸念。
        しかし仏の姿を見失っては意味がない。
        
        
        > 実装時(本文を書くとき)に迷わずに作業できるように、という意図なのですが、
        
        詳細設計フェイズの成果物があれば、
        あとはもう、それを見ながら、誰が本文を書いても、最終成果物の仕上がりは同じになる、
        というのが、詳細設計の目的、というつもりです。極論としては。
        
        本文に近いほど細かく書いてしまう、書いておかないと心配、というのは、結局、
        各シーンの意味合いを正確に把握しきれてない、ということかもしれません。
        いや、でも、そんな、一言で簡潔に言えるような「シーンの意味合い」なんて、ないですからね。
        それがあるんだったら、本文、書かなくてもいいですからね。
        
        しかしながら、
        観念的・論理的に、整合性が取れてないものを、
        言葉を尽くして強引につなげようとしてしまっている、というケースもあるように思います。
        それが結局「本文に近いほどの」詳細なメモ、となる。
        
        たとえば、
        「相手を喜ばせるために努力する」ことと「相手がどんな人間なのか理解しようとする」ことは、
        同じことではない、はずですが、
        ある登場人物の感覚の上で、この2つが、区別なく認識されている場面があって、
        書きながら、あれ? こいつ間違えてるよね? と突っ込んでしまう。
        このとき「これは話の筋として間違っているから、別の筋を考える」か、
        あるいは「この時点で、この登場人物の感覚の上では、この2つは区別なく認識されている」として、
        そのまま書き切ってしまうか。
        
        どちらかと言えば、後者の方が正解なような気がする。