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◆◆ 思ったこと: ◆◆

        > そんなわけで「不審者」は実在しません。
        > 「私が、誰かを、不審に思った」という判断があるだけです。
        > 
        > だけど、「不審者」なんて言葉があると、
        > まるで、そういう種類の人間が実在している、かのような、感じがします。
        > 言葉の怖いところですね。
        
        言うべきことを言い切れてなかった気がするので、追記。
        
        「私は不審者を見た」というような物言いが普通に行われていると思います。
        
        この言い方だと、
        「悪いのは不審者。私は関係ない。見ただけ。または被害者」
        ということになってしまう。しまいませんか? どうでしょう。なるような気がする。
        
        正確には「私はある人物を見た。私はその人を不審に思った」ということのはずです。
        つまり、「私」の問題です。
        責任の所在は「私」にある。
        「私」が人を疑っている。
        
        「不審者」という言葉は、そこのところを隠蔽してしまう。
        「私」の不信感を他者に投影している、その他者が、「私」にとっての「不審者」。
        どこまでも主観的な話です。
        なのに、まるで客観的に「不審者」なる人物が存在しているかのような物言いで、
        一方的に他者を貶めるのは、問題があります。
        
        どうなのでしょう?
        「不審者」という言葉を流通させることは、
        個人の不安感を、集団で共有する、という営みなのでしょうか?
        
        そう考えると、それが必要なときもあるのだろう、とも思えてきます。
        が、現時点では、私には、デメリットの方が目立って感じられます。
        お互いに疑い合うような社会には住みたくない。
        
        自分だけは絶対に誰からも疑われない、とか、
        たとえ疑われてもそれが間違いであることを証明するのは簡単だ、とか、
        そういう無根拠な自信を、みなさん、持ってるのかな。どうなのかな。
        私はそんな無根拠な自信は持てません。
        あるいは無根拠じゃなくて根拠がある? 本当かなぁ。本当かなぁ。
        
        
        > そんなわけで「不審者」は実在しません。
        > 「私が、誰かを、不審に思った」という判断があるだけです。
        
        ついでに言うと、
        「不審者に注意」なんて物言いも、当たり前のように使われてますが、滑稽ですね。
        「注意」して、不審に思ったから、その相手を(「私」が)「不審者」と呼ぶ、のであって、
        原因と結果が逆です。
        
        これは、単なる揚げ足取りでしょうか?
        
        もちろん、この物言いの真意はわかるつもりです。
        むやみに他人を信用せずに、自分の身を守るようにしましょう、というようなことですよね。
        
        ですが、「自分が人を疑っている」という心の機序を隠蔽してしまうと、
        徒に不信感ばかりが共有されてしまうような気がします。
        
        どうなんでしょう?
        隠蔽した方がいい……? しない方がいい気がするなぁ。どうでしょう。
        「不審者」なんて言ってしまうと、
        相手は「不審者」という人格を持たないモンスターで、
        話も何も通じない。キャー怖いわ怖いわ、たすけておまわりさーん!
        っていう感じがしません? しません? しないですかー。うーんうーん。
        
        疑っているのは、他ならぬ、この私。
        どこがどう疑わしいと思ったのか?
        心の機序を隠蔽しない方が、話がより具体的になって、
        現実的な対処が可能になる、のではないか? のでは、ない?
        
        いずれにしても、こんなところで言っててもしょうがないんですよね。
        せめて、誰かこのページを検索して。あなたに会いたい。
        
        
        
        > お互いに疑い合うような社会には住みたくない。
        > 
        > 自分だけは絶対に誰からも疑われない、とか、
        > たとえ疑われてもそれが間違いであることを証明するのは簡単だ、とか、
        > そういう無根拠な自信を、みなさん、持ってるのかな。どうなのかな。
        > 私はそんな無根拠な自信は持てません。
        > あるいは無根拠じゃなくて根拠がある? 本当かなぁ。本当かなぁ。
        
        もしかして、私が一番、人を信用してないということでしょうか。
        そんな気もします。
        人が怖くてしょうがない。
        万引きを疑われるのが嫌なので、カバンを持って店に入ることができません。
        カバンを持って店に入ってる人は、自分だけは絶対に疑われないと確信してるのかな? どうなのでしょう?
        それとも万引きする予定でカバンを持ってるのかな。それなら納得。え、納得なの?
        
        たとえ疑われても、万引きしてないんだから大丈夫、って?
        いやいや。油断は大敵ですよ?
        気付かないうちに、誰かがアナタのカバンに未会計の商品を忍び込ませてるかもしれないじゃないですか。
        アナタを陥れるために。世間にはアナタを嫌ってる人がたくさんいるんですよ?
        もう誰も信用できない。自分以外全員敵! おまえらみんな不審者だ! 誰かたすけてー。
        
        
        > 気付かないうちに、誰かがアナタのカバンに未会計の商品を忍び込ませてるかもしれないじゃないですか。
        
        わりと、冗談じゃなく、本気でそう思います。
        だって、みんな、私のこと嫌いですよね?
        
        
        > アナタを陥れるために。世間にはアナタを嫌ってる人がたくさんいるんですよ?
        
        だから、それなら、せめて、自分は、人のことをできるだけ好きでいたいと思う。
        とても難しい。
        
        私の好きな人が幸せでありますように。
        私の嫌いな人が幸せでありますように。
        私を嫌っている人が幸せでありますように。
        
        私の好きな人の願いが叶いますように。
        私の嫌いな人の願いが叶いますように。
        私を嫌っている人の願いが叶いますように。