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◆◆ 思ったこと: ◆◆

        人を好きになりたいのに。人の幸せを願いたいのに。
        
        > 「騒音主」には絶対に話が通じない。
        > いいですか? 「絶対に」です。
        > まず、その現実を認めましょう。
        > 「同じ人間」だと思っていると、事態は永遠に前進しません。
        > http://www.site-a.info/text/2014-12-31_1.html
        
        どう考えたらいいんかな?
        この件に関わっていると、心がどんどんささくれていく。
        人を好きになりたいのに。人の幸せを願いたいのに。
        
        こう考えてみよう。
        人の姿をしているからといって、人とは限らない。
        なるほど。あれらは人ではないのだ。
        
        そのように割り切るのが正解、なのでしょうか。
        少なくとも私は人として、人の道を行きたい。
        私はあくまでも人の道を追及していきたい。
        忘れてはいけないこと。
        忘れる必要のないこと。
        
        私は人の道を行く。
        少なくとも。いずれにせよ。その点に変わりはない。変える必要もない。変えてはならない。
        足元にあるこれは人の道。私が進むべき道。これまでもこれからも。
        つまり「彼ら」が何者であるかは、「あるべき私の生き方」とは直接の関係を持たない、運用上のテクニカルな問題の1つ。
        そのように考えることは可能?
        少なくとも、あくまでも、緊急措置として。立ち直るための緊急措置として。
        
        
        
        > この件に関わっていると、心がどんどんささくれていく。
        
        問題はどこにあるか?
        こちらがいくらこの件で心を砕いても、むこうの心にはさざ波1つ立たない。
        この非対称さ。きっとそこが問題なのです。
        
        やはり、相手が人間だという「勘違い」が、問題を問題たらしめているというより他ないのか。
        「腹が立つ」「怒る」という感情は、相手が人間である場合に限定して起きる感情です。
        たとえば自然現象には腹は立たない。
        雨が降ってて嫌だな、とか、寒くてツライな、とは思っても、
        天気に対して「腹が立つ」ということは、言葉の上でのジョーク以外ではあり得ない。
        あるいは洪水で家が流されて、政府の対応の遅さに「腹が立つ」などということはあっても、
        それは政府関係者という人間に腹を立てているのであって、
        洪水あるいはその元となった大雨などの自然現象それ自体に対して怒りを向ける、ということはないはずです。
        
        相手が人間であればこそ、関わることで、心が傷つきもする。
        ところが本当は人間じゃないものを人間だと勘違いして一人相撲をとっていたならばどうか?
        こちらの心が一方的に磨り減るだけ。
        
        なるほど。
        
        そう。さっきも廊下でドアをばったんばったんしていたあれは人間ではなく、
        手足と顔のついた別の何かなんだ。別の何かなんだ。別の何かなんだ……。
        
        せめて、心を穏やかに保つためのメソッドにはなるでしょうか……?
        
        うううう。
        
        いつの日か、お金を貯めて、同志を募って、静穏コミュニティを作るぞ!
        ひとすじの希望。