| ◆◆ 思ったこと: ◆◆ |
唯物論の檻の中で何ができるか?
あくまでその範囲で言葉をつづる。
絶望の果てに光明を見出せ。
つまり、一度絶望する必要がある。
話はそれから。
今はまだ唯物論の檻の中。
あくまで、この場所で言葉をつづる。
次元上昇とか霊性進化とかいうのは、その次の話。
決してここで満足はしない。
絶望に閉じ込められていると気付く。
その事実を無視しない。
そして絶望を人任せにしない。
それは云々する対象ではなく、この私の生そのもの。
宇宙の果てまで行っても、そこはやっぱり「ここ」。
宇宙の終わりが来ても、そのときはやっぱり「今」。
私が他の誰だったとしても、やっぱり私は「この私」。
どこにも逃げ場がない。
何を手に入れても同じ。何を手放しても同じ。
いかなる数直線のどの目盛りに立っても、同じ秩序の中。
この絶望は他人事にはならない。
背を向けても目の前にあるのはいつだって「私の前」。
目を閉じても瞼の裏が見えるだけ。
絶望を生き抜け。
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