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◆◆ 思ったこと: ◆◆

        人間を否定するために神の名を持ち出す

        戒律だから、とか何とか。
        なぜそんなことを言うのか?
        結局、人間の名においては、人間を否定することはできないからです。対等だから。
        だから、人間を否定するためには、人間以上の何かを持ち出してくるしかない。
        そういう、攻撃的な目的のために、神の名が使われてしまったりするのではないか?
        
        無論、全ての "神(という名の使い道)" がそういうものだと言うつもりはないのですけれども。
        ただ、重要なのは、人間が否定されるのはおかしい、ということです。
        結果的に人間が否定されるようなロジックが生じている場合、"それは何かおかしい" と疑ってかかるべきではないか?
        神が人間に与えた戒律だから、疑ってはいけない? バカいうな。私は人間です。あなたも人間です。
        人間のことは人間が決める!
        
        自分で判断する。人間として。
        
        
        > だから、人間を否定するためには、人間以上の何かを持ち出してくるしかない。
        > そういう、攻撃的な目的のために、神の名が使われてしまったりするのではないか?
        
        つまり、「人間以上の何か」ということです。
        むしろ現代の我が国では「世間」や「社会」や「常識」と言った方がリアリティがあるでしょう。
        そうした「個人よりも優先するもの」を持ち出して、人間を否定する。
        個々別々の具体的な「私」や「あなた」が否定されてしまう。
        
        それは間違いなく、おかしなことです。断言できます。
        なぜ断言できるかと言えば、人間が否定されているからです。
        
        確実に存在している「私」や「あなた」が否定されている。
        まさにそのことこそが、それがおかしなことである証拠です。

        人間の社会で人間が否定されるなんて、こんなにおかしなことってない。
        
        
        人間の人間による人間のための社会を!