TOP > テキスト目次 > 意識は他人と関わるためにある?



◆◆ 思ったこと: ◆◆

        意識は他人と関わるためにある?
        
        もし今この場に私以外の誰かがいたら、私は居眠りするわけにはいかない。
        ふと、そんなことを思いました。
        なるほど。眠ってしまうと私は他人と関わることができない。
        この場に人がいて、その人にとっての他人であり続けるためには、私は意識を明晰に保っていなければならない。
        
        つまりこの場合の意識とは、他人からの呼びかけを受けて応答するためのもの、ということですか。
        いや、それはおかしい。
        だって、それだけなら、むしろ、私に意識がある必要がない。ロボットで充分だ。
        私が他でもない "この私" という自己意識であること。
        そのことの意味は他人と関わること、ですか? 本当に?
        
        
        > なるほど。眠ってしまうと私は他人と関わることができない。
        > この場に人がいて、その人にとっての他人であり続けるためには、私は意識を明晰に保っていなければならない。
        
        それは、他人と共有しているこの世界に私がいる場合、ということですね。
        ここでは、(単に)そういう状態を指して "意識がある" という言い方をしている。
        夢の世界にいるのではなく、ということですね。
        その意味では、目覚めている間は、夢の世界のお友達とはお話できないわけです。
        
        他人と関わる、ということを自己意識の目的、というふうに考えてしまうのは、おかしいのかもしれません。
        意識は道具なの? ということです。違いますよね。ええ、違います。
        
        他人と関わる、ということを道具的な意味での目的、というふうに考えるのはおかしい。
        だから、そうではないのですが、ですが、機能として、そういうものがある、とは言える気がする。
        それは意識の機能、なの?
        いや、まてよ。やっぱり目的のような気もしてきました。目的の一つ。
        
        単に応答するだけならロボットでもいいのですが、
        にもかかわらず、ロボットではなく "この私" がいる。"そこのあなた" がいる。
        そのことに意味がある。
        
        "この私" がいるから、"そこのあなた" と関わることができる。
        なるほど。意識あってこそ、ですね。
        
        今日もあなたが幸せでありますように。
        私の意識があなたの幸せを祈るのです。     
        あなたの意識もきっと誰かの幸せを祈っていると思うのです。