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◆◆ したこと: ◆◆

        マインドルの立ち絵作成
        
        学園モノと言えば立ちくらみ。
        
        
        
        というわけでポロシャツです。
        コミPo!にポロシャツが入ってなくたって、もはやそんなことでは1ドットも動じません。
        いつもこのコーナーを読んでくれてるお友達にはもうお馴染みですよね?
        白制服を加工すればホラ簡単。まさにお茶の子さいさい。
        
        いつもながら白制服のポテンシャルの高さには目をみはるばかりです。
        きっとポテルシャンだって高いに違いありません。似て非なる次元へと飛翔せよ。
        目をみはってよく見てね。
        
        ポテルシャンと言えば思い出すのですが、
        昔「イオナズン」を「イナズオン」だと思ってました。目をみはってよく見てね。
        だって説明書に「大爆発で敵全体に大ダメージ」とか書いてあるんですもの。
        純真なお子様が「いなずま」+「音」みたいな連想でそのように思ってしまうのは無理からぬこと。
        真相を知ったときの私の驚きたるや、まさに大爆発で大ダメージ。人は傷つきながら大人になっていく。
        
        きっと同じようなことは人の世においてたくさんあるのでしょうね。
        本当はコモドオオトカゲなのにコドモオオトカゲだと思い込んでいるとか。
        本当はアヤワスカなのにアワヤスカだと思い込んでいるとか。
        本当は好きなのに嫌いと思い込んでいるとか。なんでアイツのことがこんなに気になるのよー!
        
        さて、今回は立ちくらみというわけで、
        今や立ちくらみの世界的権威となった私がこうして呼ばれたわけです。
        
        立ちくらみをどのように表現するか? 冒頭のSS以外にも案はいくつかありました。
        
        客観的には2か3なのではないか?
        2なんて今にも死にそうで最高じゃないですか。思わず交際を申し込まざるを得ません。私をあの世に連れてって。とかなんとか。
        しかし立ちくらみの世界的権威の私としては、立ちくらみを悪いもののように描くのは避けたいところです。
        もっと前向きなものとして立ちくらみを世界に向けて発信せねばなりません。
        冒頭の画像では後ろ向きに傾いてますが、そんな表面的な見た目に惑わされてはイケません。
        目に光があります。
        つまり、立ちくらみの世界を「見て」いるのです。その意図。その意志。その積極さ。
        断じて「意識を失くしている」のではありません。
        そこのところをぜひ読み取っていただきたい。そこのところをぜひ感じ取っていただきたい。
        言葉にはならなくても、あなたはその世界を知っているはずです。そこのところをぜひ思い出していただきたい。
        
        それにしても立ちくらみのこととなると世間に情報がほとんど出回っておりませんね。
        目につくのは「治すべき体調不良」としての情報ばかり。
        立ちくらみの最中に見えているあの世界についての言及は皆無です。
        しかしそれも無理からぬこと。なぜなら、あれは「語り得ぬ」世界だからです。
        この広大な宇宙のほとんどは「語り得ぬ」領域です。
        その中で「語り得る」領域はほんの一部に過ぎません。
        あの世界についての言及が皆無であることは、立ちくらみが「語り得ぬ」領域への窓であることの何よりの証拠。
        言及がないというまさにその事実が、立ちくらみのポテルシャンの高さを饒舌に物語っているのです。
        目を見開いて似て非なる次元へと飛翔せよ。今日もイナズオンで大爆発。アイツが気になって仕方がない。
        
        > この広大な宇宙のほとんどは「語り得ぬ」領域です。
        > その中で「語り得る」領域はほんの一部に過ぎません。
        
        この世とは「語り得る」もので出来ている世界です。
        無限に広がる「語り得ぬ」宇宙に浮かぶ、ほんの小さな孤島です。
        虚無の中に「おしゃべり」の網の目を作り、まるでその外側など存在しないかのように小さく囲った閉鎖領域です。
        「語り得ぬ」広大な無限に比べれば、いわゆる「あの世」や「死後の世界」などというのも「この世」の一部に過ぎません。
        死んだら地獄に行くだとか天国に行くだとか、そのような話も「この世」の「おしゃべり」の延長です。
        
        > 虚無の中に「おしゃべり」の網の目を作り、まるでその外側など存在しないかのように小さく囲った閉鎖領域です。
        
        必死に「おしゃべり」を繰り返し、執拗に領域を維持する。
        しかし、その囲みも完全ではありえません。ほころびがある。
        人は今日も立ちくらむ。人は今日も死ぬ。人は今日も生まれる。

        無限の気配が染み込んでくる。
        血相を変えてほころびを取り繕う。
        網の目の外側の自由を恐れる。

        そうなのでした。
        自由とは恐怖なのでした。触れるものとてない寄る辺のない宇宙空間を人は恐れた。
        そのゆえに地球を求めた。地面を求めた。重力を求めた。
        社会を、世間を、しがらみを。
        自分を縛るものを求めずにはいられない。
        肩を組んで、手をつないで、自由に背を向け、輪を作って、内側におしゃべりの天地を創造しよう。
        意志を失くした目で「世の中は厳しい」と言い合おう。いつまでも輪の内側にいられるように。
        だから「死んだらあの世に行く」のであり、または「死んだら何にもならない」のでした。
        なぜなら囲みの外側は「語り得ない」領域だから。
        
        しかし人は誰もが「生まれてきた存在」なのであり、「死ぬ存在」なのであり、「立ちくらむ存在」なのでした。
        否定しようのない事実がある。
        しかしそれを語ることはできない。この世を支える「おしゃべり」の素材とすることはできない。
        だから今日も立ちくらみは「治すべき体調不良」なのであり、健康情報が世間を駆け巡り、サプリメントがよく売れるのでした。
        
        それでも無限は常にある。おしゃべりの網の目の向こう側に。「ここ」にある。
        私もあなたもそれを知っている。
        だからこそ高いのはポテルシャンではなくポテンシャルでなければならず、
        爆発するのはイナズオンではなくイオナズンでなければならない。
        と同時にポテルシャンだろうがコドモオオトカゲだろうが同じことなのであり、
        アイツのことが好きでも嫌いでも同じことなのでした。
        網がほつれる。あらゆる意味が回収されてしまう。
        どうして今日も食事をしなければならないのでしょう?
        本当は食べたいなんて思ってないんでしょう? 今日も過剰な味付けのジャンクフードがよく売れる。
        そこで「体に悪い」と言えばホラ、またおしゃべりのネタが増えた。
        実にうまくできているではありませんか。まさに人類の叡智。今日も地球は安定して回り続ける。
        自由に疲れたらここへ来ればいい。
        ここなら「人間には欲望があっ」て、「天国と地獄があっ」て、「神様なんて作り物」だから、するべきことに迷う心配はない。
        「私の本音」は説明書に書いてある。
        よく読んで。今日もマジメにゴミをポイ捨てしよう。経済発展のために合意して傷つけ合おう。
        苦しめば苦しむほど地面は固くなり重力は強くなる。この世の基盤は今日も盤石。努力は決して無駄にならない。
        巻き込んで、巻き込まれて、一人残らず地上に引きずり下ろそう。だって人は一人じゃ生きられないんだからねっ。
        ポテルシャンじゃなくてポテンシャルなんだからねっ、勘違いしないでよねっ。
        
        考えれば考えるほど、身を置いているこの場の重力の度し難さを思い知らされるようです。
        それでも無限はここにある。今日も人は立ちくらむ。
        いと高き未知のポテルシャンへ続く小路が口を開ける。
        いずれ誰もが無限の旅人。地球の次はどこへ行こう?
        恐れることはありません。たとえ無限のどこにいようとも、そこに意識を持った生命がある限り、願い事は変わりません。
        全宇宙のどの意識も幸せでありますように。
        今日もあなたが幸せでありますように。