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◆◆ したこと: ◆◆

        マインドルのCG作成
        
        学園モノと言えば屋上で星空トーク。
        
        
        
        背景がナナメになっているのはナナメ上を見ているんですよということを表現しつつ、
        視野を不安定にすることで画面の中への没入感を醸し出すという高度な表現技法です。
        この私の天才ぶりがいかんなく発揮された一枚と言えましょう。コミPo!を使っているとは言え、溢れ出る天性のセンスは隠せませんね。
        なお、背景画像をコピペする際に間違えて傾けてしまったのでは断じてありません。伝わりますよね? 伝わるはずです。びくびく。
        ちなみに背景はきまぐれアフター学園の屋上です。いつもお世話になっております。
        
        手前でふんぞり返っているのは主人公氏です。
        普段は画面に出ないので、誰だこいつ? って思われたらどうしましょう。伝わりますよね? 伝わるはずです。びくびく。
        
        そんなことより、星空と言いつつ、星があんまり出てないじゃないですか。
        最近ハヤリの詐欺というやつでしょうか? このやろ〜。

        いえいえ、今日び街の真ん中で星が大量に出てたら不自然じゃないですか。不穏な気配とはまさにこのこと。
        
        
        恐ろしさのあまり気絶して顔を覗き込まれたりもするってもんです。
        
        
        
        そんなわけで今週も保護者の方とバトルしたりオトモダチに寝技をかけたり暗がりで見つめ合ったりと学園ライフ満喫の一週間でした。
        
        
        
        その成果、実に7枚。あれ? おかしいなぁ。こんなにも充実した学園ライフなのに。
        でもパソコンでの作業なので、パソコンとかよくわかんないですけど、どうせ7枚じゃなくて7ギガ枚か何かってことなんでしょ?
        と見せかけて、やっぱり7枚だったみたいです。がっかり。
        いくらコンピューターが発達しても時間がゆっくり流れてくれるわけではないようです。宇宙の摂理に対し人は無力。
        科学技術が発達しても昔から形状がほとんど変わらないものってイロイロありますよね。
        代表的なのはカサです。
        あ、でもカサを持ち歩くだけで雨が降らなくなるという魔法なら、わりと頻繁に発動しますね。まさに魔法のステッキ。素敵〜。ギャフン。
        
        さて、目下ハイペースで爆進中ぅ! とは少々言い難いところではありますが、
        数えてみたら現時点で既に89枚完了しておりました。全140枚ですから進捗度合いは……えーっと、えーっと、けっこうたくさんできてる!
        64ビットの計算機を毎日活用している結果がコレですよ。2つの意味で。
        
        かろうじて一日一枚のペースは死守できているところではあります。
        この世の終わりには間に合うでしょうか?
        いずれにせよ私は私にできることを粛々と実行していくのみです。
        
        
        ところで話は変わりますが、ネットで注文した某木の根の粉が手元に届きました。
        注文したのが2日で届いたのが4日。早ーい。国内の業者は○○○、という噂はありますが、
        それも含めて一度は試しておかねばならぬと思っておりました。さしあたり、少なくとも「届く」ことは確認できて一安心です。
        目的はもちろん「衣料」の「染色」です。
        すばらしい「色」を「見る」ことができるそうで、非常に楽しみです。
        同時に注文したMAOIは到着にもうしばらく日数がかかる模様。今から食事制限をしておこうかな。
        必ず生きて帰ってきて、レポートを書きますよ。
        
        
        他に何かなかったかな。
        あります。イロイロあります。
        が、あんまり気が滅入る話は書きたくないですね。
        
        1つ、前向きに考えることができるかな、と思われる事案として、
        今年は除夜の鐘が聴こえてこなかった、という件があります。
        たまたま風向きの関係でしょうか? 念のため耳をすませて確認してみたりもしたのですが、
        私には聴こえませんでした。珍しいこともあるものです。
        
        たまたま聴こえなかっただけかもしれませんし、仮に今年は取りやめにしたのだとして、理由は定かではありません。
        が、いい傾向だとは思います。
        私自身は除夜の鐘「だけ」に関しては特に不快感を感じないのですが、
        「わざわざ大きな音を出す」行為について、多少なりとも、反省の世相が生じてきたのだとすれば、よい傾向だとは思います。
        別に鐘をつかなくても何らかのイベントはできるはずですからね。他人を強制的に巻き込んではイケません。個人の感性が尊重されますように。
        「どうしてもデカい音を出して他人を巻き込まないと気が済まないぃぃ!」という「個人の感性」があるのだとすれば、
        そんなときこそ、みなさんお得意のお説教をかましてくださいよ。
        というより、個人の感性としてデカい音を出せば怒られるのに、集団の決定でデカい音を出すと、その音に反対すること自体が否定されるって、
        それは端的に言ってイヤな世の中ですよ。「生きにくい」って言葉がありましたっけ。
        で、これに対するお決まりの言葉は「誰だって同じなんだ!」でしたっけ。
        もういい加減、パロディのネタですよ。そろそろ次に進みたい。
        
        今回の件の真相はさておき、それぞれの個人がそれぞれの個人のままで生きられる世の中であって欲しいと思います。
        そのためには、
        「個人とは放っておくと何をしでかすかわからないトンでもない存在だから管理・教育・監視して、集団に従属させねばならない!」
        という呪いが解けて欲しいと思います。
        「個人の考えや欲求は下等なものであり、集団の決定や要求の方が上等である」というような「神話」が崩れて欲しいと思います。
        「個人が個人であろうとすることは "未熟" なことで、個を捨てて集団に同化することが "成熟" である」という「教義」が排斥されて欲しいと思います。
        「個人とはすべての他者を利用して自己の利益だけを求めるものである」という「利己主義的人間観」が迷信であるということに
        もっと多くの人が気付いて欲しいと思います。
        
        しかし、そうは言っても、想像を絶するほど身勝手な人というのもいらっしゃるわけで、
        そうした個別具体的な事例に目を向けると、きっと、何を言っても「間違って」しまうのでしょうけれど。
        
        ただ、誰もがそれぞれに幸せであって欲しいとは思う。思います。
        
        
        > それぞれの個人がそれぞれの個人のままで生きられる世の中であって欲しいと思います。
        
        なお、ここでいう「生きる」には「自殺する」も含みます。
        本人が心の底から自分の意志で死を選ぶのなら、一体誰がそれに口出しできるものでしょう?
        そもそも死が悪で生が善だなんて迷信の最たるものです。
        
        世間でよく見かける「自殺防止キャンペーン」のごときものは、「集団への帰属(復帰)」を促すものばかりです。
        「一人じゃないよ」とか、やかましいわ! そんなんだから「死にたく」もなるわけですよ。
        大体、なぜそれを「防止」せねばならないというのか? 本当に問題なのは自殺そのものではありません。個人が尊重されないことです。
        最終的に自己自身の判断で死ぬかどうかは本人が決めることです。
        が、それ以前に、安心して一人(自己自身)になれる場所がないのだとしたら、それはとても不本意で苦しいことであろうと思います。
        
        しかしこう言った瞬間、「おまえが選んだんだよな?」などと追い込むようにして人を「自殺」に急き立てる光景が得意の霊能力で霊視できます。
        そういうことではないんですけど、でも、こういうことを言うと、そういうことを助長することにもなってしまうのでしょう。
        ダメですね。何を言っても、裏目に出るケースをなくせそうにありません。

        > 本人が心の底から自分の意志で死を選ぶのなら、一体誰がそれに口出しできるものでしょう?
        
        しかし死のうとする意志に口出しをするのもまた、本人の意志ということでしょうか。
        だとすれば、言えることがあるとすれば、ただ、「私はあなたに生きていて欲しい」ということだけのはず。
        実に身勝手で残酷な要求!
        それを承知で意志をぶつけ、相手に決定を委ねるならば? 捨て身の告白。
        だから、そのぐらいの覚悟があるのかってことです。キャンペーンなどと徒党を組んで軟弱なことを言っているうちはお話になりません。
        
        
        
        何も言わない方がよかったかな。
        私は多分、何か「間違った」ことを言ってしまったのだと思います。間違いなく間違っているでしょう。
        黙っていればよかったのかもしれません。かもしれないではなく、間違いなく黙っているべきだった。
        言うことはすべて余計なことです。
        そして、それを言い出せば、生まれてこなければよかったということです。することはすべて余計なことです。
        キーを一つ打つたびに罪が重なる。毎日毎日、毎秒毎秒、罪を重ねている。
        そして、それを言い出せば、生まれてこなければよかったということです。
        何も存在しなくてもよかったのに、なんでまた、何もかもが存在しているのでしょう。なんでまた。
        存在のその最初から間違っている。存在とは間違いということだ。
        生きることは間違うことだ。間違うことを選ぶということが生きることだ。私は間違うことを選び取ってる。
        
        しかし、そんなことはどうでもいい。
        
        今日もあなたが幸せでありますように。