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◆◆ したこと: ◆◆

        マインドルの対戦パート作成
        
        学園モノと言えば同意を得て指し手を進める。
        
        
        
        一手ごとにセリフを言いながら、10ターンぐらい会話を続ける試合がありましてですね、
        最後まで言い終わらないうちに勝負がついてしまっては困るというドキドキのシーンとなっております。
        
        どのように困るかと言うと、そういうケースは想定していないので、文章がつながらなくなります。
        
        主人公(プレイヤー)が途中で負けた場合は負けセリフに変化して終了、ということで、つじつまは破綻しないのですが、
        AIの側が途中で負けてしまうようなことがあると、会話のつじつまが合わなくなってしまいます。これぞドキドキ。高鳴る鼓動を抑えられない。
        そんなに速攻で勝ててしまうパターンは多分ないと思うんですけど、もしあったらご愛嬌ということで。
        
        というわけでキャラ2ルートの分も対戦イベント実装完了ですよ。うむ。順調。
        あなたのお手元にマインドルのある日常をお届けできる日もそう遠くありません。素晴らしいことですね。
        
        現時点で気がかりなのは、対戦イベントの難易度です。
        さしあたりAIの思考内容はあんまり気にせずに、イベントとしての体裁だけを鋭意整え中なのですが、
        なんか、動作確認してて、全然勝てないのですよ。こんなに強かったかな?
        私の知らないうちに上達したのでしょうか? そんなハイカラな機能はつけてないハズ。
        私の知らないうちにハッキングされて改竄されたのでしょうか? なにぃ〜。そうだったのかぁ〜。
        私が寝てる間に作業のお手伝いをしてくれるなんて親切な人もいるものですね。世の中捨てたもんじゃない。
        
        したがいまして、ここ最近は積極的に眠るよう心がけております。
        眠ることは無駄ではありません。
        その証拠に、寝れば寝るほど対戦イベントのAIに勝てなくなる。
        おかしいな、こんなハズでは。よし、もう一眠りしよう。
        
        どうしようかな。現役の頃はもっと簡単に勝ててたはず。むしろAIを強くできないことを気にしていたはず。
        今は現役じゃなくて何なのかはさておき、ちょっとブランクが生じるだけで、こんなに勝てなくなるなんて。
        
        多分、ビミョーな加減だと思うのですよ。
        勝てるときには簡単すぎて困ると感じ、勝てないときには難しすぎて困ると感じる。
        若いうちは自分が若くて元気だということに気付かないものです。若さという罪。なんの話だ。
        
        若さはさておき、対戦イベントがクリアできなくてストーリーの続きが読めないというお友達が出ないようにしたいものです。
        人によると思いますが、この手のゲームに苦手意識があって「こんなのあたし無理!」になってしまうと、もうお手上げだと思うのですよ。
        とは言うものの、こういう内容のゲームにした以上、ある程度は仕方のないところなのかな。
        
        どうしても無理だったら「マインドルが勝てなくてストーリーが進みません!」とSNS的なもので雄叫びを上げてくれれば、
        それをキッカケに普及度が高まる……とかいう炎上商法まがいの腹黒い作戦を考えているわけでは1ミリもありません、
        と思ったのですが、なかなかの名案ですね。おぬしはワルかっ! 
        
        うまい具合に序盤から少しずつガイドしていけるようなレベルデザイン?にできればよかったのですが、今更どうにもなりません。
        そこまで計算して全体的な構成をするような余裕はまったくなかったものでして、
        本文の都合に合わせて散発的に対戦イベントが入っているのみとなっております。

        で、ちょっと思いついたのですが、本文とは別に各キャラと対戦しまくれる「放課後モード」なんてのはどうか。
        なんてのはどうか、なんて、気まぐれな思いつきで作業を遅らせる悪い子はどいつだ!

        せめて難易度を変更できるようにしてはどうか? そんな面倒な。面倒なのかよ。
        しかし「せめて」と言いますが、実際やるとなると結構面倒ですよ?
        誰かうちのパソコンをハッキングして代わりに用意してください。

        あ、今思いついたのですが、対戦イベントを「オフ」にして、全て文章に置き換えた「純粋ノベルモード」なんてのはどうか。
        なんてのはどうか、なんて、勝手な思いつきで作業を遅らせる悪い子はどいつだ!
        
        と、そんな感じで懸念事項を多々残しつつ、とにかく「完成!」と言い張れる状態を目がけて土煙上げて邁進しておりますよ。
        残すところはあとキャラ3ルートの対戦イベント群と……他にも何かイロイロあったような。
        プロローグとか、エンディングのムービーとか。
        あっ、チュートリアルもいりますよね? 私は慈悲深いのでチュートリアルなしだなんて考えられないことです。
        他にもなんやかんやイロイロありそうで、考えただけで命がいくつあっても足りなくなりそうです。困ったな。
        やはり誰かにうちのパソコンをハッキングして代わりにやってもらうしかなさそうです。
        常時接続で寝ながらお待ちしております。寝ながらかよ。
        
        
        
        
        さて、思うとことはいろいろあるのですけれども。
        私が何を言ったりヤッたりしても、結局どうにもならない、という事実がある。
        考えの中身がどうであろうと、世間の空気に合致しないものは話を聞いてもらうことさえできず冷笑や侮蔑の的となるばかり。
        その挙句、「わかってもらう努力が足りない」とか言い放つのだからたまりません。
        聞く耳を持たない代わりにツマランことを言う口だけはあると見える。このやろ〜。
        
        とは言え、「私なんかが何を言ったってどうせ何も変わらないんだから……」
        などと卑屈に大人びて諦めるなどというのは、どんなことがあろうとも、この私の選ぶ道ではあり得ません。
        
        しかしながら、この「私なんかが何を言ったってどうせ何も変わらないんだから……」という言葉の
        意味内容自体は事実ではあります。そこに「卑屈な諦め」という感情を込めるか否かは別として、端的な事実には違いありません。
        と同時に、多くの人が同じように考えて諦めてしまうからこそ、本当に何も変わらない、というのもまた事実。
        
        じゃあどうすればいいのか?
        
        そういえば「世論というのは誰かエライ人が作るものではなく、私たち一人一人が作るものなのだから」
        というような話があったような気がします。
        その言にしたがうならば、たとえ一人でも、たとえ誰にも伝わらないかに見えても、諦めずに声を上げ続けることが大切だ、
        ということになろうかと思います。
        
        しかし実際のところ、それも果たしてどうなのか?
        
        宝くじのコマーシャルで「買わなきゃ当たらない」とかいうのがあったような気がします。
        なんかもう、水鉄砲にワサビ醤油を入れて両目を狙い撃ちにしてやりたくなるようなセリフですが、
        「諦めずに声を上げ続けていきましょう」などというのも、これに似ているような気がしないこともありません。
        
        なんていうのか、
        
        「そんなんじゃない」
        
        んですよね。
        
        得体の知れない「空気感」というものがある。
        これは理屈とはまったく別の次元の存在・事象です。
        理屈の上でいくら「正しい」かに思えることも、この「空気感」の前ではまったくの無力。
        
        話が伝わらない相手に話をしているときの、あの「得体の知れない "伝わらなさ"」をどう考えるのか?
        言語の壁があるわけではない。知能に問題があるわけではない。仲の悪い相手というわけでもない。
        会話自体はできる。しかし伝わらない。何をどう言っても伝わらない。
        いや、伝わらない方がまだ救いがあるかもしれません。
        それよりも、一度は伝わったかに見えて、それなのに行動が変わらない、という方が恐ろしい。
        あなた私の話に同意したじゃないですか。あれは何だったの?
        
        こうしたことはかなり普遍的なことのように思われます。
        特定の頭のおかしい人だけがそうなのではなく、むしろそれが「フツー」のように思われます。
        頭がおかしいかどうかで言えば、むしろ私こそが頭がおかしいということになるのでしょう。
        
        頭のおかしさコンテストがしたいだけなら、いくらでも負けてあげますけど、
        こういう「伝わらなさ」を一体どう考えればいいのか? 得体の知れない何かがある。
        
        得体の知れない、とは言うものの、当たり前と言えば当たり前ということになるような気もいたします。
        
        たとえば何か、世間で行われていることについて問題を指摘して「もっとこうするべき」と言うとする。
        その考え自体が「考え」としてどんなに「正しい」ものだとしても、
        「なるほど。たしかにキミの言うとおりだ。ヨシ! 今からそのとおりにしよう!」
        ということにはならない。なるわけがない。そりゃそうだろ、という感じはいたします。
        が、なぜそうなのか?
        だって、「正しいこと」なのに、そのとおりにならないんですよ?
        つまりこれは、世間というものは「考え」の「正しさ」とは別の何かで動いている、ということの端的な証拠と言えるでしょう。
        
        ではさて、その「別の何か」とは一体何なのか?
        はい。まさに得体が知れません。
        
        当たり前と言ってしまえば当たり前かもしれません。
        たとえどんなに「正しいこと」だとしても、無名の個人が何を言っても世の中が変わるわけがない。
        いや、有名な個人だとしても程度問題で似たようなものでしょう。個人ではなく法人だとしても同じこと。
        そりゃそうだよな、ってなもんです。まさに当たり前。
        しかしその当たり前は、実際のところ、一体全体、どのように当たり前であるのか?
        
        だって、「正しいこと」なのに、そのとおりにならないんですよ?
        「世間の空気」に合致することであれば、大して考えもせずに言ったことでも
        「よく言った! スバラシイ! 拍手喝采ぃ〜!」と歓迎を受けることでしょう。何かのボタンをポチポチ押してもらえることでしょう。
        しかし「世間の空気」に合致しないことは、いくら深い考えに裏打ちされたことであろうとも、いくら「正しい」ことであろうとも、
        冷笑と侮蔑の的となるばかりです。あわよくば「まぁそういう考えもあるかもね」程度の同意の反応を引き出せたとしても、
        その考えが実行に移されることはなく、1分後にはすっかり忘れられていることでしょう。
        それ以上主張を続けたところで「はぁ? まだ言ってんの? いい加減大人になれよ!」などと言われるのが関の山。
        そりゃそうだよな、ってなもんです。まさに当たり前。
        で、だからこういう当たり前が、実のところ、どのように当たり前なのか?
        
        「考え」が、その「考え」自体の「正しさ」では判断されない。
        「世の中そういうもの」らしい、ということは「理解」はできます。
        私以外のみなさんも、「理解」はしてらっしゃることでしょう。おそらくは私以上に。
        ただ、実際、なんでそうなのか、というのは、実に得体が知れないと思いませんか? 思いますよね? え? 思わない? このやろ〜。
        
        「本当に正しい」ことなのだとすれば、たとえ無名の個人が路地裏でボソっとつぶやいたのであっても、
        それを聞きつけた小鳥さんがちゅんちゅんと森のお友達にお話して、一夜のうちに世間を席巻するハズ。
        しかし、そういう話は聞いたことがありません。
        むしろ「正しくない」ことが一夜にして大炎上、という話なら頻繁に聞くのですけど。
        それとも、そうならなかったということは「正しさ度」が足りなかったということナノダ、とでも言うのでしょうか?
        後出しジャンケンをするとは、おぬしはワルかっ!
        
        原理は不明ながら、いかに正しいことであろうとも、
        「現状の空気感」に反することが理解されるには「時間がかかる」ものであるらしい、とは理解はできます。
        どうしてもと言うなら地道に賛同者を集めて運動を展開して潮目(空気の流れ)が変化するのを待つしかない、
        ということなのだろうとは思います。
        いかに「正しい」ことでも、そういうふうにしか「伝わらない」ものなのであろう、とは理解はできます。
        「現実的に言って」そうなのだろうとは理解はできます。
        
        しかし、やはり奇妙です。
        そのような形で「地道に」理解されたもの、というのは、結局のところ、「空気が変わったから」理解されたに過ぎません。
        「考え」の内容自体が正しいと判断されたというわけではない。
        そのような形で結果的に理解されたということは、つまりそういうことなのであり、この点は相変わらずです。
        
        これが「当たり前」だと言うならば、大多数の人々は自分の頭で物事を判断できないおバカさんばかり、と言っているのと同じことです。
        善良な常識人と見せかけて、なかなか大胆なおクチをお持ちのようですね。さすがはワルよのぅ。我、感服せり。
        たしかに、ある程度はそういう面はあるのかもしれません。
        しかし、義務教育が行き届いて大多数のお友達が読み書きできる我が国でさえそれが「当たり前」だというのは、
        やはり、シンプルに言って、「なんかへん」です。

        もう一回言います。
        「なんかへん」ですよ、これは!
        
        もちろん、いろいろと「説明」はできると思いますよ。
        「一人一人考え方が違う」だとか「何が正しいかなんて誰にも判断できない」だとか
        「人がたくさんいて個人の発言なんて埋もれてしまう」だとか、
        いろいろと「説明」はできると思いますよ。
        ただそれも結局、ワルなあいつお得意の後出しジャンケンですよ。
        そうした「説明」の一つ一つは、それなりには「そういう面はある」と言えるのかもしれませんが、
        それだけで、本当に、この「得体の知れない」「空気感」の正体を突き止めたゼ!
        などとは、到底言えるものではないように思います。
        
        なんか、「そんなんじゃない」んですよ。
        それこそ、「悪の宇宙人が地球人を洗脳していて……」などと言いたくなってしまうほどの、圧倒的な「何か」がある。
        
        宇宙人とまでは言わないにしても、人々に「自分の頭で判断する」ことを促すような運動って、よくありますよね。
        詳しくは存じ上げないのですけど、たとえば「今こそ目覚めよ!」とか、なんかそういうノリのやつ。
        で、たしかにおっしゃるとおり、世間の空気に流されずに自分の頭で判断しましょう、というのはそのとおりだと思うのですけど、
        じゃあ、なんで、最初からそうなってないの?
        「大多数の人間がそうはなっていない」と言う、その「現状」は、なぜそうなのか?
        結局のところ、人間って何なのですか?
        複数の人間が「いる」じゃないですか。
        それぞれ別個に「頭」を持ってるじゃないですか。
        そのはずですよね。もともと。
        そのはずなのに、そのはずなのに、そのはずなのに、この「空気」とか言うやつは、一体何なんですか?
        
        あ、ふと思ったんですけど、
        「もし一人一人が独自に自分の頭で考え出したら、それこそ一人一人 "考え方が違う" のだから、特定の "正しさ" が伝わるワケがない」
        とかいうことになるのかな?
        たしかにそうなんですけど、それは「反対側の極端」というものですよ。
        それとは「逆の極端」があって、そして、現状はそれに近いものがある。

        そもそも、なんか、「それ以前」なのですよ。
        だって、じゃあ、一人一人自分で判断し始めたら収拾がつかなくなる「から」そうならないために、
        みなさんご自慢の慈悲の心で、ご自分の考えを「ガマン」してらっしゃる、とでも言うのですか?
        そもそも、なんか、「それ以前」なのですよ。
        
        話は尽きませんが、これ以上言うと失礼な話になりかねませんね。
        私は何も、みなさんが自分の頭でモノを考えることのできないおバカさんだなんて言うつもりはほんのちょっぴりしかないんです。
        知ってのとおり慈悲深い私のこと。あなた方一人一人を愛しておりますし、あなた方一人一人の生き方を大切にしたいと思っております。
        それだけは忘れないでいただきたい。外出後に玄関の鍵を閉めたかどうかを忘れても、それだけは忘れないでいただきたい。
        
        だからこそ、ですよ。だからこそ、現状を「見てらんない」わけです。
        
        だってですよ、私が悪しき心の持ち主だったらこんな話はしていない。
        こんなことを考えてるヒマがあったら
        「人間なんてバカばっかりなんだから、うまい具合に煽って利用したモン勝ちだぜヒャッハー!」
        ってなもんですよ。
        実際その手のグリモワールは世間に溢れてるでしょう? エロイムエッサイム。まったく便利な時代という他ありません。
        
        
        というわけで、この宇宙が一体全体どうなっているのか、相変わらずさっぱりわかりませんが、
        私からあなた方への慈愛が止まるところを知らないというのも相変わらずでございます。よかったのぅ皆の衆。
        
        今日もあなたが幸せでありますように。