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◆◆ したこと: ◆◆

        マインドルの残りの作業
        
        学園モノと言えばプロローグ。
        
        
        
        よっしゃあ、できたぁ〜〜!!
        
        本当にできたんかな?
        
        なんか全然文章が書けなくて、いつものように死にそうになって、
        一晩たったら妖精さんがやってくれてましたので、多分、できたってことなのだと思います。ラッキ〜。
        
        完全に説明文というわけではなく、一応ストーリー的なものがあって、
        それに沿って駆け足で進めていく感じです。
        細かい描写はすっ飛ばして、要所要所でセリフを入れたり入れなかったり。
        
        ちゃんとしたストーリーっぽいバージョンと、あらすじバージョンの2通りを用意しておいて、
        冒頭で選択できるようにする、という野望もあったのですが、そんな元気はなさそうです。
        
        しかしこうしてモノができてしまえば、なんだ、これでいいじゃん、
        という気分になってくるものですね。妖精さんの魔法はダテじゃない。
        本文を読み進めるにあたって、必要な情報は過不足なく詰め込めているハズ。
        主人公の背景事情とか主要キャラの紹介とか。

        本当に大丈夫なんかな?
        一通り作業を終えた後も「あ、アレを書いておかなければ!」と思い出して追加した箇所が多々あったりします。
        また思い出すことがあれば追加すればいいじゃない。
        じゃなくて、リリースする前に全部思い出さないとイケないんじゃないんですか?
        誰か代わりにやってくれないかな。妖精さんとか。
        
        そんなわけで、残りの作業はあと何があるんでしたっけ?
        死にそうなので思い出すのが大変ですが、えーっと、
        まず、あなたの幸せを願うことと、
        あとは、あなたの幸せを願うことと、
        それから、あなたの幸せを願うことと、
        何かまだ他にあったようななかったような。
        それだけですよ。要するに。
        この世で生きて、することなんて、あなたの幸せを願うこと以外に一体何があるでしょう?
        
        それはさておき、あとはUIの整理と、エンディングですね。
        それからチュートリアルなんですけど、
        タイトル画面から、「よーしチュートリアルをするぞ!」と自分の意志で決意して選択するチュートリアルは先週完成したわけですが、
        そんなふうに自分で「よーしチュートリアルをするぞ!」と自分の意志で決意して選択する、なんてこと、しますかね? 実際。
        いやいや、してくださいよ、ってことではあるんですけども、
        みなさん、チュートリアルをやらずに、勇ましく本文に突貫しちゃうんじゃないです?
        第一話の最初の試合パートの直前にも「やり方覚えてる?」みたいな選択肢をつけて、
        チュートリアルができるようにしておかないとイケなかったりするのでしょうか?
        そこで「いいえ」を選んだら「だから言ったじゃないのぉ!」とか言ってタイトル画面に強制送還でいいのかな? ある意味のバッドエンド。
        さて、どうしましょうかね。
        あなた方がモノグサだから、この私が苦労するのですよ? 困ったものです。
        
        そこはさしあたり元気があれば、その場でもチュートリアルができるようにするということにするということにしておいて、
        ともかく前進しようではありませんか。
        次は何をしようかな。あなたの幸せを願おうかな。わくわく。
        
        
        
        
        さて、色々と思うことはあるのですけども。
        結局のところ、この世は一体何なのでしょう?
        それがわからないとどうにもならない。
        それがわかったとして、どうなるのか、ということさえ、わからない。

        人間が複数いる、ように見える。それぞれに自分の自己意識を持って生きている、ように見える。
        私は私のことしかわからず、他の人たちもそれぞれに自分のこと以外はわからない、ように見える。
        人が生まれて、生きて、死ぬ、ように見える。
        宇宙には星が無数にある、ように見える。
        地球はその中の一つである、ように見える。
        
        で、
        本当の本当の本当のところ、一体全体、何なのか?
        
        世間にはさまざまな問題がある、ように見える。
        私が私なりに考えて「正しい」と思うことを言うと、否定されたり肯定されたりする、ように見える。
        それ以上でもそれ以下でもない。
        
        「人によって考え方が違う」などと言いますが、
        なんか、もう、「そんなんじゃない」んですよ。
        なんか、もう、「そんなんじゃない」もっと異質な何かで、この世は動いている。
        おっと、「ように見える」をつけた方がよかったのかな?
        はい。むしろ、「そう見え」ます。
        虚心坦懐に「見る」と、そう「見え」ます。
        「正しいことを言えば正しい結果になる」というのは何かの錯覚であると「見え」る。
        
        で、
        だから、この世は一体何なのでしょう?
        
        「世の中には様々な人がいる」と言います。
        が、
        なんか、もう、「そんなんじゃない」んですよ。
        
        実際のところ、本当のところ、
        私はこれまでに、一体、何度、「人間と話をした」ことがあったでしょうか?
        
        限りなく全員に近いほとんどが、何か幽霊のようなものだったのではなかったのか?
        そこに本当に「人間」は「いた」のでしょうか?
        
        本当の本当の本当のところ、
        私は一体、「何」と「話をした」のでしょうか?
        
        この世に無数に存在する人々の中の、ほんの偶然、私とご縁のあった「人と話をした」、ように見える。
        しかし、それは本当の本当の本当に本当なのか?
        本当はもっと別の「何か」だったのではないのか?
        

        「人間」は一体どこにいる?
        
        
        結局、「空気」と話をしていただけなんじゃなかったか?
        
        
        実際、「一人一人はいい人」のように見える、のですよ。
        ただ、それも「空気」の内側での話。
        「常識の輪」との距離感次第です。
        
        「一人一人はいい人」などと言いつつ、
        本当のところ、他の誰でもない「その人自身」はどう思っているのか?
        そこのところは絶望的なまでに高確率で宙吊りになる。
        
        で、
        「人によって考え方が違う」だとか「いろいろな人がいる」だとか「一人一人はいい人」だとか、
        そんな耳ざわりのいいヤワラカイ言葉で押し返されて、
        「何やかんや」と「結局」は「全体的」に「そこそこ丸く収ま」って、
        まるで何も起きなかった、何も話されなかった、何も聞かれなかった、
        かのごとく、
        今日も今日とて「この世はこのよう」というダジャレが響く。
        
        で、
        「私は一体 "何" と話をしていた」のか?
        
        しかしこんなことをまともに言えば、
        そんな簡単に本音は話さないだとか、本音を言ってもらえないオマエ(私)が悪いのだ、
        などとコンテストを開催されるのが関の山です。
        
        つまり、ドウショウモナイ、ということです。
        
        どこにも「隙間」がない。
        このループをほどく結び目がどこかにあるはずだと、いくら探し回っても、同じところを無限ループするばかり。
        
        つまり、ドウショウモナイ、ということです。
        
        
        「私の "正しさの度合い" が低いことが理由である」という「説」は、ある種の希望ですが、
        もはやそのような希望は成立しません。
        
        つまり絶望ということです。
        つまりドウショウモナイということです。
        
        だって、そうした「正しさの度合い」を真に受けて、その「度合い」を高めていくと、
        行き着く先は「世間の常識そのもの」です。
        「私が思ったこと」はドコへ行った? 溶けて見えなくなってしまった。そして一切は相変わらず。
        結局、どこをどう突ついても「この世がこのよう」というダジャレは1ミリも動かない。
        
        人間の意志ではドウニモナラナイ得体の知れない何かの手の内。
        
        
        
        そういえば先日、外を歩いていて絶望したのでした。
        ビルがあったんですよ。
        どこにでもありますけどね。ビル。
        どうやって建てたんでしょうね? あんなもの、一体どうやったら建つのでしょうね?
        どこにでもありますけど、そういうものが、どこにでもあるのですよ。このミステリー!
        私は建築のこと全然知らないですけど、仮に私が建築の専門技術者だったとしても、
        私一人では建てられないでしょう。
        街に無数に林立するビルの、ただの1つでさえ、私一人では建てることができないでしょう。
        ビルに使われているタイルの一枚でさえ私には作れない。
        あれらを建てたのは一体「誰」なのか?
        あれらを建てたのは一体「何」の意志なのか?
        人間の意志ではない。現象としては複数形の「人々」ではあるでしょう。
        しかし、その中の、どの、特定の「私」の力でも、あれらのビルの、ただの1つも建てることはできないでしょう。
        誰の意志かと言えば、誰の意志でもない。
        そのようなものが、街中、いたるところに、林立している。このミステリー!
        
        そしてそれはビルに限らないのでした。この世のありとあらゆるものがそうなのでした。
        今これを入力しているパソコンだってそうです。
        この電子部品! このプラスチックの外装!
        「誰か」というような特定の人間が作れるようなものではない。到底ない。
        
        これは、一体全体、何、なのか?
        得体の知れない、何か、の意志、に、あたりまえのように、囲まれている。
        これは、一体全体、何、なのか?

        戦慄するしかない。

        ドウニモナラナイ。
        
        一体いつからこの世はこのようだったのか?
        大昔にピラミッドを作ったときからこうだったのか?
        なぜ人間は「複数」なのか?
        この世は一体全体、本当の本当の本当のところ、何、なのか?
        
        
        いやしかし、実際、どうしようかな。
        どうにも、こうにも、わけがわかりません。
        どうすればわかることができるのかもわかりません。取りつくシマがないとはまさにこのこと。
        
        このまま一生わからないまま死ぬしかないんかな。
        それとも死ねば何かがわかるようにもなるのでしょうか。
        どうしようかな。
        
        
        というわけで、もう何がなんだか、さっぱりわからないわけですが。
        
        もしもそこに、あなたがいるのなら……。
        
        今日もあなたが幸せでありますように。