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◆◆ 思ったこと: ◆◆

        「導線」というのは他人を操ろうとする試みでしょうか?
        ウェブサイトの構成や、お店の構成などで、よく「導線」ということが言われますよね。
        
        「アクセシビリティ」という概念もありますが、
        それとは、ちょっと、ちがうのですよね?
        
        たとえば誰かが、目的を持って、あるウェブサイトにアクセスする。
        そのウェブサイトが、その人が目的を達成しやすい構成になっていること。
        これが「アクセシビリティ」ということでしょうか。
        おそらく、文字通りの意味としては、そういう理解でいいですよね。多分。
        
        ところが「導線」となると、意味が違ってくるのですね。
        ウェブサイトの運営者が、訪問者に、どのようにサイト内を巡回して欲しいか?
        訪問者に、ウェブサイトの運営者が望むような行動をとらせるための仕掛け。
        それが「導線」ということのようです。
        
        つまり、この両者は、主人公が、正反対なのですね。
        一方では訪問者が主人公。もう一方では運営者が主人公。
        
        
        「導線」には、邪悪な意志を感じます。
        邪悪、は、言い過ぎですか?
        他人を操ろうとする意志。
        それの何が邪悪なのでしょう?
        人間、が、疎外される感じ。
        それを私は邪悪と呼びました。
        
        「アクセシビリティ」
        これは邪悪ではありません。
        あなたには目的があるでしょう。意志があるでしょう。
        私はあなたの意志を尊重します。
        あなたの願いがより円滑に叶えられますように。
        
        「導線」
        考えるな。
        こちらの想定通りに動け。
        購入ボタンを押せ。値段を考えずに押せ。
        
        
        ただ、運営者にも、願いがありますよね。
        「このようにサイトを見て欲しい」という意図。制作に込めた意図。
        それはまた別の話ですか?
        
        
        
        > たとえば誰かが、目的を持って、あるウェブサイトにアクセスする。
        
        実のところ、目的は、ないかもしれない。
        ところが、ページを表示してみたら、なにやら気になるリンクがあるじゃないですか。
        ぜひ押さねば!
        目的が生じた。
        ページにアクセスする以前は、なかった目的。
        
        人はなぜ生きるのか?
        案外、こういうことの集積だったりしますか?
        
        それは望ましいことなのですか?
        笑い話にふさわしいことなのですか?
        
        自分の人生が「案外、こういうこと」の集積で、いい?
        
        
        
        > ページにアクセスする以前は、なかった目的。
        
        根源的に、願っていた・いる、ことは、何(だった)か?
        
        
        
        「導線」という概念で他人を操ろうと画策すること。
        それは、その運営者の本当の願いなのかどうか?
        
        「導線」という概念でトラフィックを作り出す、という行為が、
        何らかの価値あることとして語られている、ということ。
        そのこともまた、1つの「導線」なのでしょうか?
        
        
        意志はどこにある?
        願いはどこにある?
        
        
        
        
        > 購入ボタンを押せ。値段を考えずに押せ。
        
        ものを売っているサイトで、
        具体的な値段がどこに書かれているのか、なかなか見つからないことって、わりと頻繁にありません?
        購入するかどうかを検討するための重要な情報なのに。
        私はそのせいで、購入を諦めることが、しばしばあります。
        だって、検討できないんですもん。
        
        なので、私の感覚からすると、値段を最初にハッキリと提示していないのは、
        客を減らすことになっているように思えるのです。
        が、私以外の人は、どうなのでしょうね?
        値段を最後の最後まで隠し通しておいた方が、購入する人の人数が多いということでしょうか。
        値段を知った上で検討して購入する人間の数よりも、
        値段から目を逸らして購入に踏み切る人間の数の方が多い?
        商売は数の理屈ですから、結果的により儲かる方法に収斂していくはず。
        ということは、やっぱり、そういうことなのでしょうか。どうなのでしょうか。