| ◆◆ 思ったこと: ◆◆ |
自分の意志で決めたことかどうか、
と、
結果を納得して受け入れることができるかどうか
は、別物、ではないか。
結果に納得するための方便としての「自分で決めたことなのだから」
あるいは、
結果に納得できないことの理由としての「それは私の意志ではないのに」
自分の意志の結果だったら、本当に納得できるのかどうか?
それは、やっぱり、別問題のはず。
あるいは、受け入れるしかない、という「お説教」なのか。
それをいうなら、自分の意志ではなくても、なんらかの理由で「仕方がない」というお説教はいくらでも言えるはず。
「自分で決めたこと」というのが、一種の「仕方のないこと」ということか。
どのように「仕方がない」か、は、その「お説教」の理由付けであって、これまた、いくらでも、言えるでしょう。
というより、
自分の意志だろうが、他者の意志だろうが、
仕方のないこともあれば、なんとかなることもある、はず。
「仕方がない」かどうかと、それが「自分の意志」かどうか、が、同一、というわけではない。
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