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◆◆ したこと: ◆◆

        マインドルの立ち絵作成
        
        学園モノと言えばウェディング。
        
        
        
        ウェディングドレスに見えますよね? はーい見えまーす。うむ、いつも通り。
        コミPo!にウェディングドレスというデータは存在してなかったと思いますが、
        仮にあったとしてもなぜか偽札が未完成なので買えません。うむ、いつも通り。
        というわけで久々のGIMPで顔以外ほぼ手書きコースです。
        死ぬかと思いましたがなぜか死んでません。うむ、いつも通り。
        待てよ、死んでないと見せかけて実は死んでいるのかもしれません。乞うご期待。
        
        ちなみに顔以外ほぼ手書きコースはおそらくこれが最後。これが最後ということは、つまりこれが人生最後。
        ということは、ついに人生の最後まで死ぬチャンスを逃してしまったということでしょうか。
        死ねなかったことを悔やみながら死んでいく。まさに矛盾そのものの人生でした。
        
        さて、顔以外ほぼ手書きと言いつつ、ベースはこれまたいつも通りコミPo!の白制服。最後まで大活躍でしたね。
        肩を露出させて、スカートを伸ばして、二の腕に謎のパーツを装着して、ティアラとベールを装備。
        するとアラ不思議! 花嫁さん、こんなところにいらしたなんて。
        なお、ティアラはドットの潰れを無視して堂々と頭上に描き加えてしまうのがコツ。ジロジロ見るのは禁止だ。
        
        
        さらに、コミPo!に入ってた花の素材をゴニョゴニョしてブーケを装備。まさに完全無欠。
        病めるときも健やかなるときも向かうところ敵なし。
        
        もちろん相方もおります。
        間にマイクを立てて、はいどーもー、さぁ今日もがんばっていきましょう。
        
        タキシードにしては、ちょっと裾が短いかな? もうどうでもいいや。どうでもいいのかよ。
        パッと見の印象としては多分オッケー。
        そもそも絵が描けないという不可能を無理言って可能にしているのでした。このぐらいで満足することを誓いましょう。
        ジロジロ見ると魔法が解けるので利用規約で禁止しておきましょう。うむ、いつも通り。もはや手慣れたものですね。イロイロと。
        
        ちなみにさきほども少し言及しましたが、二の腕の謎のパーツ。
        作業の参考のためにネットで画像を検索してイロイロ見ていたのですが、実写の画像ではこのようなモノは見当たりません。
        しかしマンガの絵では大抵みなさんこのようなパーツを装備していらっしゃいます。
        どうやら二次元には二次元の独自の文法というものがあるようです。
        郷に入っては郷に従えというわけで、何のパーツかは未解明ながら真似をしておきました。
        いわゆるアレですね、言葉を知らない土地に行って、よくわからないながら現地の人の発音を真似して、
        なんとなくコミュニケーションが成立しているかに見えて、実はトンデモナイ意味だった、みたいな。
        一体どのようにトンデモナイのかな? ドキドキ。
        
        さて。
        
        個々別々の問題は、個々別々の問題として、あります。そのように見えます。
        騒音だとか、ベーシックインカムだとか、差別だとか、虐待だとか、債務貨幣制度だとか、生体販売だとか、歩き喫煙だとか、寒いダジャレだとか。

        が、実際のところ、本当のところ、何が、一体何が、それを、それらを、現状ならしめているのか?
        そういうものが「現状として、ある」という、その事実を支えて、支えてしまっている「何か」。
        
        その「何か」への視点を欠いたまま、個々の問題に「のみ」踏み込んでいくと、おそらく、泥沼になる。
        というか、実際、多くの議論は泥沼になってますよね。
        分野を問わず、議論に踏み込めば踏み込むほど、どんどん本質から逸れて、「何か」に翻弄されている気分になります。
        
        なぜ誰も債務貨幣制度の話に「聞く耳を持たない」のか? いくらこの分野を追求しても「現状」が「相変わらず」です。
        なぜ未だに生体販売をしている店に客が足を運ぶのか? いくらこの分野を追求しても「現状」が「相変わらず」です。
        なぜ寒いダジャレを言う人が後を絶たないのか? いくらこの分野を追求しても「現状」が「相変わらず」です。
        
        個々別々の問題の「問題点」をいくら鋭く抉っても、抉り続けても、「現状」が「相変わらず」です。
        「何か」があるに違いないんです。その場所とは別の、さらに背後に。
        そのような個々別々の事象を、「現状」として存在せしめてしまう「何か」が。
        
        
        だから、たとえば騒音ですけど、ネットで騒音問題関連のページを見ていると、
        騒音問題について怒りの言論を書き込む傍ら、その他の社会問題についても触れていたりします。
        で、そういうのを見て、人は「何にでも文句を言うのが好きなだけの偏屈者!」だと思うのかもしれませんが、
        おそらく、そこでは、騒音ということに限らない「何か」が意識されているのではないかと思います。
        どこまで明確に意識されているかどうかはさておき、
        個々別々の、事象の、背後、に予感される、「何か」。
        
        
        個々別々の、問題、の、さらに背後に、予感される、ありありと予感される、「何か」。
        個々別々の、主題、の、さらに上位に(下位に)、位置し、それを「現状」として可能ならしめて、いる、「主題中の主題」。
        
        すべての主題が、そこに起因し、そこへ帰結していくような、「主題中の主題」。
        
        
        個々のテーマが「枝葉」に「過ぎない」などとは言いたくはありません、が、
        正しいことを言えば正しい結果になるはずだ、ということが幻想に過ぎない、と認めざるを得ない、その先に、では、どこへ向かえばいいのか?
        
        資本主義はオワコン。その通り。でもみんな資本主義が大好き。さて、どうしよう?
        拡声器騒音は害悪。その通り。でもみんな拡声器騒音が大好き。さて、どうしよう?
        寒いダジャレは万死に値する。その通り。でも今日もどこかで同志よ、どうしよう?
        
        どうにもならない。
        ではさて、どうしましょう?
        主題中の主題へ。
        
        どうにもならない。
        見えるものがあるはず。絶望が見える。目を凝らせ。目を閉じるな。絶望が見える。見えるはずだ!
        個々別々の主題の行き止まりの、その先へ。
        主題中の主題へ。
        
        
        先日、図書館へ足を運んで絶望しました。
        読むべき本が見つかりません。こんなにたくさん本があるのに。
        個々の分野のエキスパートになることが無意味だとは思いません。
        ただ、「主題中の主題」のことが書かれた本が見当たらない。こんなにたくさん本があるのに!
        困ったな。
        
        というか、そもそも矛盾しているわけですよ。
        たとえば、何かすごくいいことが書かれている本があったとして、
        そんな本が出版されている、にもかかわらず! なぜ、この世はこのようなのか? もちろんダジャレです。
        その本のことがあんまり知られてないから? じゃあなぜ、そんないいことが書かれてる本なのに、知られてないんですか?
        悪の組織の陰謀で普及が阻止されているから?
        じゃあ、知り合いに勧めても誰も見向きもしないのはなぜですか? 宇宙人のハイテク兵器で脳を操られているから? なるほど!
        
        つまり、まさに、ここに、絶望が、ある。

        どうにもならない。

        ではさて、どこへ向かおう?
        
        
        
        さしあたり、いつものあれを。
        今日もあなたが幸せでありますように。