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◆◆ したこと: ◆◆

        マインドルの立ち絵作成
        
        学園モノと言えば過去編。
        
        
        
        どうやらまだちょんまげに目覚めていないようですよ。
        眉毛の上で前髪を切りそろえております。激萌とはまさにこのこと。
        あ、その方向でいくならスカートも長くするべきだったかな? 今後元気な日があったら描き足すよ。
        念のため申し添えておくと、いつものあの人です。
        思いのほか人相の変化が激しい気がしますが、同一人物であることはわかりますよね? わかりましょう。
        
        ちなみに制服はコミPo!のデフォルト、と見せかけて、少しだけ変更しております。
        
        ネクタイは一刀流よりも二股の方がおぼこい風情が漂って、過去編としてはより適切なのではないですか? という声が、
        誰もいない室内で、それでいて生々しく耳元に聞こえてきたので逆らうことができませんでした。
        そういうことってよくありますよね? え? ないんですか? このやろ〜。
        
        さて、そんな感じでいつものように耳元の生々しい声と戯れたり、偽札の作り方を考えたりしているうちに、
        キャラ1さんの立ち絵はほぼ終了です。ほぼとはなんだ、ほぼとは。
        はい。
        あとは若干、若干特殊なポーズだとかで、後回しにしてきた分が若干残っております。キャラ1さんの分も含めて全体的に。
        それをササッと終わらせて、あとはCGもササッと片付けて、試合パートのAIのスクリプトもササッと整えて、
        そしたらもう、ササッと動作確認してササッとリリースしてササッと死ぬだけです。
        よぉ〜し、ヤル気が出てきたぞぉ〜。モリモリ!
        
        
        それにしても、いつもながら、どうしょうもないですね。
        消費税10%とか、アホじゃないの? アホなんでしょうね。どうしょうもない。
        仮にアホじゃないんだとしたら、じゃあ一体何なのか?
        そういう点も含めて、まったくどうしょうもありません。
        
        そしてこういうことを言うと、
        じゃあ社会保障費はどうするんだとか、納税の義務を果たさないなら日本を出ていけ、とか言う人が必ず出てきます。
        本当にどうしょうもない。
        そのように言うということは、自分は消費税に反対するような幼稚なやつよりは物事を理解している立派な大人だZE☆ と思っているのでしょう。
        本当にどうしょうもない。
        いや、頭の中を覗いたわけではないので、本当のところ一体何のつもりで言っているのかは不明ですが、
        そういう点も含めて、まったくどうしょうもありません。
        
        
        これもまた、数ある「ドウショウモナイ現象」の一つなのでしょう。
        「消費税」という具体的なテーマに絞って議論をすること自体は可能です。実際、みなさん頑張ってらっしゃいます。
        バカにする気なんてまったくありません。応援してます。
        しかし、どうしょうもない。
        もちろん、「消費税」という具体的な事象そのものに関しては、今後どうなるかはわかりません。
        また「延期」されるかもしれませんし、ひょっとしたら減税、あるいは廃止なんて可能性もないことはありません。それはわかりません。
        しかし、どうしょうもない。
        
        圧倒的な「どうしょうもなさ」が広がっている。巨大に広がっている。
        あまりに巨大すぎて、自らのまさに足元に広がっているということ自体に気付けないほど、巨大かつ堅固に横たわっている。
        「消費税」というのは、そのほんの一部に生じた、わかりやすい「でっぱり」に過ぎません。
        
        そのような「でっぱり」は他にも無数にあります。
        騒音問題、差別、虐待、いじめ、歩きスマホ、寒いダジャレ。
        いくらでも無数にあります。
        そのうちのいくつかは、叩いてみれば、うまくすると、それなりに「平らになる」ことはあるかもしれません。
        しかし、どうしょうもない。
        圧倒的にどうしょうもない。
        根源的にどうしょうもない。
        
        
        ではさて、その「どうしょうもなさ」に、どのように向き合うか?
        重要なのはその点です。
        
        「向き合う」という言葉を使いました。
        つまりその逆の「向き合わない」態度がある、ということです。
        その1つは、解決しようとする態度です。
        もう1つは、流されようとする態度です。
        
        
        > その1つは、解決しようとする態度です。
        
        解決しようとしているのだから「向き合っている」ように見えるかもしれません。
        実際、本人はまさにそのつもりで一生懸命であることでしょう。その熱意に水を差すつもりはありません。それ自体は尊いことです。
        しかし、「どうしょうもなさ」には「向き合って」いません。
        なぜなら、解決できるつもりでいるからです。
        「どうしょうもない」とは思ってない。
        その意味で「向き合っていない」と、ここでは言いました。
        
        もちろん、解決できることを解決するのは、当然ながら望ましいことです。
        ただ、だからと言って、根源的な「どうしょうもなさ」がどうにかなる、ということにはなりません。
        平らにできるでっぱりは叩いて平らにすればいい。淡々と活動を続けていこうではありませんか。
        ただ、だからと言って、我々がまさに立っているこの広大無辺な「どうしょうもない」という地平は1ドットも動きません。
        「これは一体何なんだ」って話です。
        
        
        > もう1つは、流されようとする態度です。
        
        これもまた、ある意味で「向き合っている」ように見えるかもしれません。
        いわゆる「現実」に向き合っている、というやつです。「大人になれよ」ってやつです。ああムカツク。
        「どうしょうもない」ということを所与の「現実」として受け入れている、と言う表現の仕方が可能かもしれません。
        しかしこれは、ここで私が言っている「どうしょうもなさ」に「向き合う」ということには当てはまりません。
        むしろ逆です。「背を向けている」「目を逸らしている」とでも言うべきものです。
        諦めて埋没しようとする態度です。
        完全に「後ろ向き」なのであり、決して「どうしょうもなさ」に正面から向き合おうとはしていません。
        
        
        
        「どうしようもなさ」を巡っては、ほとんどの場合、上記の2つのうちのどちらかに落ち込んでしまいます。
        「どうしようもなさ」自体にまともに向き合うというのは非常に難しいことと言わざるを得ません。
        
        前者の態度の最も極端な姿としては、「コテコテの陰謀論者」を思い浮かべていただくとよいでしょう。
        何らかの問題に出くわす。何とかしようとする。しかし何ともならない。何しろ「どうしょうもない」ものだから。
        それでも「何とかしよう」とする。
        世間の嘲笑を受ける。あいつらはわかってない。私だけが真実に目覚めているのだ。
        今こそ明かそう、これがこの世界の真実だ! さぁ、これを知っている少数の我々だけでアセンションを果たそう! とかなんとか。
        
        もちろん、「解決」を目指そうとする人がすべてこうなるということではありません。
        あくまでも幅のあることです。
        大抵は、よほど熱心な場合でも、いわゆる地道な市民活動のようなレベルなのではないかなという気がいたします。
        ただ、それも、いつでも先鋭化して「コテコテ」になってしまうような危うさを孕んでいるような気がいたします。
        さっきから気がいたしてばかりですが、知ってのとおり私はイマギナティオーンが使えますので私の気は的中するんですよ?
        
        後者の態度についてですが、これはいわゆる「世間の常識」という形で顕在化すると言えるでしょう。
        「そんなこと言っても仕方がない」「私に言わないで」「みんな同じなんだから」「誰だって我慢してるんだ」「大人になれ」「おまえも今にわかる」
        とかなんとか。とかなんとか。とかなんとか。ああムカツク! 書いてるだけで脳血管に危機を感じるレベルです。このやろ〜!
        つまり、みなさんよくご存知の毎度お馴染みのやつです。
        こうした言説を得意気に披露する本人は「現実に向き合っている」つもりなのだということが、テレパシーが使える私には明確にわかるのですが、
        さきほども申し上げましたように、これは決して「どうしょうもなさ」に向き合っていることにはなりません。
        しかし、ある意味で「折り合いをつけている」とは言えるかもしれません。
        ただし、それは「向き合っている」というのとは、やはり決定的に違います。
        むしろこれは「どうしようもなさ」に「同化」している、とでも言うべきものです。
        なぜなら、上記のような言説を口にすることで、まさにその人自身が「どうしようもなさ」の代弁者になっているからです。
        そのような言説を全身でパフォームする無数の身体がこの地上を包み込んでいる、その事実が、
        まさに、とりもなおさず、「どうしようもない」ということの「現実的な顕れ」そのものだからです。
        あなたはいつからあなたではない何かになってしまったのですか?
        
        それから、もう1つぜひ申し添えておきたいことがあります。
        上で「コテコテの陰謀論者」などとバカにするような言い方をしてしまっておりますが、決して頭ごなしに否定するつもりはないのです。
        そうした人たちの言うことには、ある種の真理が含まれていると思います。
        そこには、「どうしょうもなさ」が言い表されている。
        「得体の知れない」「巨大な」「その、何か」が、「それなりの形式」で、「言い表されて」いる。
        
        たとえば、謎の組織が古代から歴史を影から操って、現代でも一般には気付かれない形で我々に影響を与え続けている、とか。
        たとえば、爬虫類型の宇宙人がハイテク兵器で地球人を思いのままに操っている、とか、
        たとえば、霊界から捕食者的な妖怪がやってきて、この世の人間の無意識を操ってネガティブな感情をエネルギーとして吸い取っている、とか。
        
        私はこうした話を頭ごなしに否定するつもりはありません。
        言葉どおりにまともに受け取る気にはなれませんが、
        こうしたことが100%ありえない、とは思いません。完全に根も葉もない妄想、というわけではない、のだと思います。
        たとえ嘲笑のネタとなってしまうことがあるにせよ、こうした話が、それなりの「魅力」を持って、語り継がれている。
        つまり、なにがしか、「真実の気配」がある、ということではないでしょうか。
        その「真実」というのが、つまり、ここで言っている「どうしようもなさ」それ自体のことです。
        足元に広大無辺に横たわっていて、逃れようのない、得体の知れない「それ」(あるいは「これ」)のことです。
        
        そうした謎の組織やハイテク宇宙人や霊的捕食者が「実際に」「存在する」かどうか、というのは、「さておき」、
        つまり、そこで予感されている「何か」というものがあるはずなのです。
        我々普通の人間を超えた何らかの存在が、悪意をもって、我々の気付きにくい形で、我々に影響を与え続けている、
        ように感じられてならない、
        そういう「いわく言いがたい」感じ、です。
        
        この「感じ」を、「下手にわかりやすく」言い表してしまうと、秘密結社とか宇宙人とか妖怪とかいう話になってしまう。多分。
        あるいはもっと「軽症」な例で言えば、
        「メディアが隠蔽している」とか「大企業が金の力で情報を統制している」とか「国家間の秘密の取り決めがある」とか、
        そういったことも、必ずしも根も葉もないデマというわけではないにしても、
        「正しいはずのことが、なぜか通用しない、そうした現象を説明するためのロジック」としては、同様の危うさを孕んでいるとは思います。

        またはそうした「社会的な要因への結びつけ」とは対照的に、「個人的な要因への結びつけ」というものもあるかもしれません。
        「正しいはずのこと」を理解しようとしない誰かを指して、
        「脳に障害がある」とか「幼少期のコンプレックスのせいだ」とか。最近は「サイコパス」なんてのも人口に膾炙してきておりますね。
        こうした言説も、
        「正しいはずのことが、なぜか通用しない、という現象を説明するためのロジック」として持ち出すならば、
        「もっともらしく聞こえて」「それなりに事実と符号してしまう」という点で、同様の危うさを孕んでいるとは思います。
        
        ここで言っている「どうしょうもなさ」というものは、決して「わかりやすく」「言い表せる」ようなものではありません。
        ただ、何しろ「どうしょうもない」ということです。
        その点で、謎の秘密結社なり、ハイテク宇宙人なり、霊界からの捕食者なりというのは、「確かめようがない」ことです。
        それでいて、事実上、この「どうしょうもない」という現実と、「うまく符号」します。
        この「確かめようがない」&「うまく符号する」というのが曲者なのだと思います。
        一度「そのとおりだ!」と思い込んでしまうと、そこから抜け出せなくなってしまう。
        天動説から地動説へ。地動説から霊動説へ。私は視た! 第三の目で! とかなんとか。
        誰かにツッコミを入れられれば、「おまえも洗脳されてる!」というわけです。
        このようなオカルト的な領域にまでは達していない場合でも、
        いわゆる「レッテル貼り」は頻発しているのではないでしょうか。「○○論者め!」「○○障害め!」とかなんとか。
        おっと私も「コテコテの陰謀論者」なんて言ってしまっているじゃないですか。どうしましょう。困ったな。
        差し当たり言い訳はせずに保留しておきたいと思います。
        
        
        つまり、この「どうしょうもなさ」に向き合うには、よくよく慎重にならなければならないということです。
        もちろん、解決できることは素直かつたゆまぬ熱意を持って解決に取り組むというのが人として望ましい姿と言えるでしょう。
        最初からあきらめてはイケない。
        その点に水を差すつもりはありません。
        ただ、「明らかに問題がある」「私は正しい指摘をしているはずなのに」「世間の連中が寝ぼけたことばかり言ってる」
        というような場合にですね、「何かおかしいぞ?」と、立ち止まって考えてみる「余裕」が必要なのかな、とは思っているところではあります。

        「余裕」と申しました。
        もちろん知ってのとおり「どうしようもなさ」というのは「のっぴきならない」ものですから、
        まさに今この瞬間も、まさに、刻一刻と、デバスティティブなクライシスがオンゴーイングなのですが、
        だからこそ、それをうっかりと、「筋の通った理屈」で「言い表して」しまうと、「隙間がなくなる」と言えばいいでしょうか。
        結局そこに、からめとられて、まさに本丸である「どうしようもなさ」そのものを見失って、
        鏡の前で延々と踊り続けることになってしまう気がする気がするのです。
        それは悲しい。
        
        そしてもちろん、今この瞬間、すべてが悲しい。
        問題は個々別々に存在します。
        それらを巡り、ロッツオブピープルがオンゴーイングでビーイングエクスプロイッテッドでサファリングなのです。
        まさにアンフォーチュネイト。
        何を言っているかわからなくなってきました。
        
        つまり何を申し上げたいかといいますと、
        今、「ドウショウモナイ現象」がアツイ! ということです。
        
        いかにして「ドウショウモナイ現象」に向き合うか?
        解決を目指すのでもなく、諦めるのでもなく。
        「どうしょうもなさ」そのもの、に、いかにして、迫っていくか?
        
        もちろん解決できることは解決を目指したらいいのですよ?
        とりあえず消費税10%とかいうアホの極みをどうにかしたいところです。
        そもそも税金で政府の借金を返すなんて不可能なわけで。返したら世の中のお金が消えてしまうではありませんか。
        世の中のお金というのはつまり、我々のお金のことです。
        仮にそこまでしたとしても借金は利子がついて膨らむから返し終わることはない。
        大体、お金がどこから発生してると思っているのですか? 
        会社に通って労働することは「マイニング」ではないのですよ?
        その会社が銀行から融資(借金)で得たお金を賃金としてもらっているに過ぎません。
        あなたが汗水たらして得た賃金の裏には同額の借金があり、さらに、それは常に利息で膨らんでいる。
        こういうことを続けている限り、税金をいくら集めても意味がありません。
        あと「財源」とかいう妄言をヤメれ。
        社会的に必要な事業なら、やればいいではありませんか。
        「財源がないからできない」というのは意味不明です。
        実際に「資源がない」とか「技術がない」とか「やれる人がいない」からできない、というなら意味はわかります。
        そういうことであるのなら、個別に対処すればいい、という話になるはず。
        それを「財源がないから」というのはどうしても意味がわかりません。何のために国が存在してるんですか。
        資源や労働力を融通するためのトークンが必要ならば、
        必要に応じて(国債じゃなくて)「お金」を発行したらいいんじゃないんですか? 話が逆です。
        
        しかし、どうしょうもない。
        このどうしょうもなさは本当に一体全体何なのでしょう?
        いっそ本当に宇宙人が操ってるというのなら話は簡単かもしれません。
        本当にわけがわかりません。
        
        はい、ここです。
        「わけがわかりません」と言いました。
        これは「批判」ではありません。「ケシカラン!」と言っているのでは断じてありません。
        文字通りの意味です。文字通り「わからない」という意味です。
        この「わからなさ」を「わからなさ」のままに、それでいて決して目を逸らさず、そこへ迫っていく不屈の闘志が必要です。
        わかりやすいロジックに耽ってはならない。

        見えないものが存在する。
        見えないものを視る認識能力を獲得せよ。
        いつも夕方の時間帯に行きつけのスーパーでレジを打ってるあの子のパンツの色を透視する能力を獲得せよ。
        いよいよ寒さが本格化しようとしている今だからこそ。服装がスケなくなっている今だからこそ。
        不屈の闘志で認識の限界を突破せよ。
        
        
        それはそれとしてですね。
        今日もあなたが幸せでありますように〜。